祖父が3人、誉であります!という話です。
◆ 父方の祖父 ◆
長崎県の出身、第二次大戦の兵隊から大企業の工員?を勤め上げ
わりと堅物だった記憶があります。可愛がってくれたのでしょうが
やはり不器用な面があったのか、晩年になったころに事情があって
祖父宅に同居していたわりに、最後までめちゃくちゃ好きにはなれませんでした。
ごめん、Fじいちゃん。
◆ 母方の祖父 ◆
山口県出身?なのかな。第二次大戦へ軍属として出兵し帰らぬ人となりました。
軍艦に乗船している中、フィリピン沖で亡くなった、という国からの知らせのみで
事実は不明、遺骨もなき戦死です。
従って血は繋がっていますが面識はありません。
写真は26歳、祖母と結婚したころとのことですがその後、29歳で亡くなっています。
小柄ですが優男、勉強ができ、字や絵が上手く大変に賢い人だったと聞いています。
書くことや詩吟が好きだったそうで、なんだかわたくしにも通ずるモノがあるなやと感慨
深いのです。
(※わたくしは高校時代 《 詩吟部 》 だったのです。担任に何かやっておけ、と言われ
最初は仕方なく、でしたが部長もやらされましたw)
また、最近になってまだ幼児だったわたくしの母に 『 軍の仕事の市内の出張先 』 から
パパちゃん頑張っていますから○○ちゃんもお利口にしてなさいね、というハガキ
を出していた現物が出てきまして、実際に見せてもらいました。
" 長女が可愛くて仕方がない "という若い父親の愛情が文面に溢れており、読んでいて
何とも言えない氣持ちになりました。
驚いたことに、そのハガキの差出人の名前は苗字は同じですが名はペンネームでした。
これもまた、今の自分に通ずる(わたくしはるうにい、と名乗っていますからね)モノを感じました。
◆ 母方の祖父・二人目 ◆
広島県出身、と最近知りました。
母方の一人目の祖父が戦死した後、どういうご縁かは不明だが祖母が再婚した人。
再婚当時、もう中年だったのですが貧しいながらも血の繋がっていない娘二人を私立の学校
に入れ、育てあげるのにそれはもう働いて働いたそうです。
(祖母+母+叔母と同じミッション系の授業料がお高い女子中高を揃って卒業しているのが
彼女等の誇りでありますw)
(わたくしとわたくしの弟も、このミッション系スクールの幼稚舎にだけ入園し卒園しています。
そこはやはり祖母と母のこだわりだったのでしょう。確かに私立で 『 お高い 』 のですが
あそこを卒園した、という事実はなんだか誇りでもあります)
ちなみにこの祖父と祖母の間には子供はいません。
貧しかったというのは本当でしょうが、わたくしが生まれ物心ついた時には豪邸に住み、クラウン
の助手席でしたから、恰幅がよくて、孫にデレデレの、優しすぎるラテン系?なじいちゃんでした。
男が一番じゃけぇw な人でしたが基本優しくて明るい人だったと思います。
優しすぎると孫なんて付け上がるので、わたくしは都合のいい時だけ言うことを聞く子供でしたw
馴染みの商店に行くと『あらぁ、この子が○○さんが目に入れても痛くないヒロシくんねえ~?』
とからかわれることがしょっちゅうだったので、 《 メニイレテモイタクナイ 》 という例えがどういう
意味かを知っていましたw
それが一昨年か去年か、洗面台でふと自分を見るとこの血の繋がっていない祖父と何となく似て
来た?? と思ったのです。
額というかこめかみ辺り、いや雰囲気もw
あんなに可愛がられた結果なのかなあ、人の想いって本当に不思議だなあと思ったのでした。
松五郎 (まつごろう) さんと言います。素敵な名前でしょ?
◆ 父はひとり ◆
たしか、一番上のFじいちゃんと家族は戦時中は中国に住んでおり、終戦後に引き揚げて着いた
のが山口県下関市だったはずです。兵隊での赴任地、ってことですね。
父は昭和12年生まれ、出生地は中国でしょう。
父との思いでやエピソードはそれはそれは尽きない程にあるのですが、今回は祖父に特化した
文章ですので控えめにしておきます。
このゴールデンウイークに帰省した時に、パートナーがとってもたくさんの写真を撮ってくれ
わたくしの動画がいくつも ( 撮られていたw )・・・
そこに写っていたのは父と似ているわたくしでした。ちょっとした表情、歩いている後姿・・・
父はもう他界しているのですが、なんだかひゃ~、似ちょうるのう、いつの間にか似て来たのう~
こわいわ~と思いました。
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